コンピュータの本が図書館の2か所に置かれる理由——十進分類法は枠を10に固定した
同じ主題の本が、離れた棚に並んでいる
図書館でコンピュータ関連の本を探すと、奇妙なことに気づく。プログラミング入門書や情報科学の理論書は「007」の棚にあるのに、計算機工学やハードウェア設計の本は「548」の棚にある。両者は同じ建物の中で、ときに階をまたいで離れている。利用者からすれば「コンピュータの本」という一つのまとまりのはずが、日本十進分類法(NDC)の上では別の系統に切り分けられているのだ。
これは司書が分類を誤ったわけではない。007は「総記」の中の「情報学」であり、548は「技術」の中の「情報工学」である。どちらも正しい分類であり、規則に従った結果として本が二か所に分かれている。問題は分類の運用ではなく、分類表そのものの構造にある。
骨組みはデューイから、中身はカッターから
NDCの原型は、1876年にメルヴィル・デューイが考案した十進分類法(DDC)にさかのぼる。デューイはあらゆる知識を0から9までの10のクラスに分け、それぞれをさらに10ずつ細分化していく構造を作った。総記、哲学・心理学、宗教、社会科学、言語、自然科学、技術、芸術、文学、歴史というのがDDCの10クラスである。
森清が1929年に日本向けに整えたNDCが受け継いだのは、この骨格そのものだ。ただし受け継いだのは十進法による記号のつけ方と、最上位を10クラスに固定する構造であって、クラスの中身ではない。NDCの10クラスは0総記・1哲学・2歴史・3社会科学・4自然科学・5技術・6産業・7芸術・8言語・9文学であり、並び方も内容もDDCとは異なる。宗教はNDCでは独立した主類ではなく、代わりに産業が独立主類として立っている。通説では、この主類の中身はデューイからではなく、チャールズ・カッターの展開分類法(Expansive Classification)から採られたとされる。
主類の中身は作り替えられたのに、最上位を10個で切るという枠組みだけは1929年になっても動かなかった。細分化はいくらでもできるが、11番目の主類を新設する余地はどちらの分類法にもない。
情報学と情報工学、埋まらなかった溝
コンピュータ科学が学問として立ち上がったのは20世紀半ばであり、デューイが10クラスを固めた1876年から70年以上あとのことだ。当然、コンピュータ専用の主類など用意されていない。記号処理や情報理論に近い抽象的な側面は「総記」の下の「情報学」(007)に、計算機を作る工学的な側面は「技術」の下の「情報工学」(548)に置かれた。548の上位である54は「電気工学」、隣の549は「電子工学」であり、548はそのうちの「情報工学」を指す細目である。
デューイの分類法自体、1876年で止まっていたわけではない。ただしその動き方には条件がついていた。1979年の第19版の時点でも、データ処理とコンピュータ科学はなお001.6という一項目に押し込まれたままだった。この体制を崩し、004から006にかけて新たな領域を切り出したのは、第19版と第20版の間にあたる1985年、通常の改訂サイクルとは別に刊行された暫定改訂の別冊であり、それが正式に本表へ組み込まれたのは1989年の第20版になってからのことだ。既存の主類の内部を大胆に再編するという道は確かにあったが、それは定期改訂の枠内では収まらず、緊急の別冊を挟んでようやく実現している。
NDCの側でも、007は1995年の新訂9版で「情報科学」として内部が大きく展開され、新訂10版でも007・547・548の適用範囲を整理する改訂が加えられた。だがこの展開はあくまで007という一つの主類の内側にとどまり、548へまたがる再編には至っていない。150年近くのあいだ主類の中身が全く動かなかったわけではない。動かなかったのは、一つの主類の境界を越えて本を組み替える作業であり、それを日常の改訂として行える仕組みそのものである。
AIも同じ線で割れている
同じ構図は最近の分野にも現れている。NDCの007は新訂9版以降さらに細分化され、人工知能そのものには007.13という固有の番号まで割り当てられた。ニューラルネットワークの理論やアルゴリズムを扱う本は、この007.13を中心とする情報学の系統に収まる。一方、AI専用チップや推論アクセラレータの回路設計を扱う技術書は、情報学の外、548を中心とする情報工学、あるいは半導体そのものを扱う549の電子工学の系統に置かれる。
皮肉なのは、理論側には007.13という専用の枝がすでに用意されているのに対し、実装側にはAIハードウェアのための固有の枝がまだなく、既存の計算機工学や半導体工学の棚に一般的なハードウェア書として紛れ込んでいる点だ。理論と実装という同じ切り口が、AIという一つの分野をふたたび二方向に引き裂いており、しかもその引き裂かれ方は対称ではない。新しい学問分野が既存の学問の理論的側面と工学的側面の両方にまたがって生まれるたびに、この分類表は同じ形で軋む。
固定枠と単一の置き場所、根っこにあるのはどちらか
ここまでの検証が示すのは、既存の主類の中身を組み替えるという選択肢が、実際にはほとんど使われてこなかったという事実だ。DDCが001.6を004から006へ動かしたときでさえ、それは総記という一つの主類の内部にとどまる作業であり、しかも定期改訂の枠を飛び出して緊急の別冊を出すほどの負荷がかかった。NDCの007が新訂9版で情報科学として展開されたときも、動いたのは007という主類の内側だけで、548へ踏み込むことはなかった。二つの分類法が繰り返し示しているのは、既存の主類の枠内でなら細分化はできても、ある主類の一部を切り離して別の主類へ組み入れる、あるいは二つの主類にまたがる領域をひとつにまとめるという作業には、通常の改訂では手が届かないという事実である。
その理由は、10という数そのものに戻ってくる。最上位を10個で固定し、それぞれの下に枝を伸ばすという設計は、一つの記号が必ずどれか一つの主類の下にぶら下がることを前提にしている。11番目の主類を新設できないなら、複数の主類にまたがって生まれた分野を受け止める新しい枝は、原理的に存在しない。残された道は、既存のどちらかの枝の内部に押し込むことだけであり、実際にDDCもNDCもその道しか使わなかった。情報学と情報工学が1世紀近くにわたって統合されなかったのは、統合するための場所が、10個に区切られた設計の中にそもそも用意されていなかったからだ。
AIの例が示すように、たとえ「情報」を独立した第11の主類として新設できたとしても、その内部で理論書と実装書はまた分岐するだろう。だからといって、10という数を固定した設計の責任が消えるわけではない。枠の数を固定した設計は、新しい分野が生まれるたびに既存の枝のどちらへ寄せるかという選択を強い、しかもその選択をやり直す仕組みをほとんど持たない。学問の境界が動くたびに、分類表の側だけが動けないまま取り残される。
将来何が追加されるか分からない対象を分類するなら、最上位の枠をあらかじめいくつに固定するかという発想そのものを手放したほうがいい。ファセット分類のように「情報理論」「電気工学」「AI」といった属性を複数付与し、検索や配置はその組み合わせで柔軟に決める設計なら、新しい分野のために枠を一つ空けておくかどうかという問いを、そもそも立てる必要がなくなる。